私とMac (I and Mac)
私とMacー私のMacについての関わりと思いを語る
以下は(大分)以前アップロードしていたHP「あっとマック(@MAC)」に書いた2000年までの私とマックの関わりである。
マックとあるじの歴史(前史〜2000年まで)
●前史
1986頃よりワープロが事務所に入り始め、少しいじる。
1988年、実験データベース作成のためIBM-PCにてマルチプランを学習。ドキュメントはもっぱら東芝のルポ。
●1989年〜1990年
サイマルテーニアスエンジニアリングを目指して新しくできた部署に異動し、初めて、マッキントッシュを見る。 設計部門、実験部門、研究部門、製造部門のツールがまちまちだったため、マック、NEC-98シリーズ、IBM-PC、ゼロックス-J/STARが混在。すべてをこなさなければならない羽目になる。 しかし、次第にフレンドリーなマックが優位になる。 最初はSE、Ⅱが主力(Plusを持ち込んだ人もいた)。SE/30も導入される。 当時としては珍しく、サーバーを保有し、イントラネットの中にプリンターも組み込まれる。スキャナーで文献を読み込ませ、英文翻訳などもする人もいた。 個人的には、東芝のダイナブックが出るとすぐに購入。一太郎と1-2-3を使用し、家で報告書を作成していた。
●1991年〜1997年
故あって会社を換える。前の会社のシステムが進んでいるのは分かっていたが、新しい会社は余りにも遅れており、落差が大きく落胆。10人程度に1台、富士通のオアシスがあるのみ(親会社の研究部門の影響で、一部の研究所ではマックを使っていた)。 将来的には、IBM-PCが伸びる事を予想しつつも、LCが発売されて間もなく、スタイルライターとセットで購入。40万円程度の負担を強いられる。 用途は主に仕事での報告書作成。マックドローⅡが前の会社当時からのお気に入りのソフト。 その後、中古でLCⅡを購入したり、知り合いのデザイン事務所よりハードディスクがいかれたⅡciをもらったりして直して使っていたが、世の中の進歩からは、暫く遅れを取る(この間、会社では必要に応じ他の部署にあったクアドラなどを使用)。
1996年に韓国に赴任するにあたり、会社の人よりⅡsiを貰い自ら運び込む。その後、暫くしてパイオニアのMPC-LX100を中古で購入、これも自ら日本より運ぶ。12Kgの重さは細身の体にはこたえた。これでも未だ68040プロセッサーであり、パワーPCは日本に帰るまでの我慢と決意する。 会社用としては、秋葉原で格安のパワーブック520cを購入し持ち込む(Expressモデムを内蔵したが、オフィス用電話にはうまくつながらず余り活躍せず)。 ソウルには、ほんのわずかではあるが、マックだけの店があり、休みには時々行って安売りのソフトを買ったりした(韓国ではマックは絶対的に不利で、デザイン関係のみにしか普及していない様子であった)。
●1998年
日本に帰国と同時に、近々i Macが発売になる事も知らず、G3ーDT233機を購入(当初はDT266を買うつもりであったが、秋葉原で探す内にDT233が20万円を切って売っていたため“マックスバグ”で購入。ディスプレイは引き続き13インチモニターを使用。)。現在もメインハードとして使用中。 今思うとi Macの発売を知っていなくて良かったと思う。あの樹脂(ポリカかアクリル?)の筺体は安っぽいし、ディスプレイも見づらい。将来は、電磁波の発生が少なく、健康に良い液晶ディスプレイを購入する予定でもあるし。
●1999年
この夏を目標にインターネットを立ち上げる予定でいた所、前々より狙っていた「MPC-LX100の資産が活かせる」パフォーマ6310が、“じゃんばら”で4万円を切る値段で売っていたため、専用機として購入。本年8月より始める。
●2000年
最初はパフォーマ6310でも満足していたが、描画が遅くいらいらする時も出てきた。 そこで、再び安い旧PowerMacを探していた所、いつも覗いているMaxBugのホームページで安いPM7500があり、2万円で購入。 MacTreeの“売ります広場”でPowerLogix製の安いカード(PowerForce 300MHz / 521k at 120MHz)を見つけ、G3化して高速化。 パフォーマ6310機は、古いソフト用として漢字トーク7を搭載し、DT233機とEther-netでつなぐ。 MPC-LX100は廃却した。
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